
L-Acoustics Keynote 2025
ゴールデンウィークの後半に、フランスのプロオーディオメーカL-Acoustics 社がロンドンで開催したいくつかのイベントに参加した。その内容は、Keynoteと題された新製品発表、同社が開発した音像定位システムや音場支援システムのデモンストレーション、その他ライブやミュージカルの体験と盛りだくさんであった。Keynoteは、過去にパリやロサンゼルス、シンガポールで開催されており、今年は第 4 回目、ロンドンの Roundhouse劇場が会場となった。

◆L-Acoustics
L-Acoustics 社は Christian Heil 博士によって 1984年に創業された。コンサート、映画、イベントや放送施設や劇場等で用いられるプロ用オーディオ機器を開発/供給するリーディングカンパニーの 1 社であり、大型のライブイベントにおける拡声音の音量や音質の向上に大きく貢献したメーカーとして有名である。1990年代以前の大型ライブイベントでは、舞台開口の左右と上部にスピーカを多数並べることで音量を確保していたが、この方式では客席での音量が不均一、あるいは広範囲で良好な音質を得ることが困難であった。無指向性スピーカを直線上に配列すると正面方向への指向性が鋭くなる。この原理を指向性スピーカの配列に応用してさらに指向性を高める仕組みの理論を構築(右図)し、これを実用化した。

また、プロセニアム中央およびサイドL/Rのスピーカ構成では、良好な聴取エリア※1が客席中央に限られていた。それを、同社が開発したL-ISA Processorの音像定位機能※2により、客席のほぼ全域に広げた。また、同製品の音場支援※3を用いれば、電気的に響きを付加することができる。おそらく今も次なるイノベーションにむけて研究を進めているのではないだろうか。

※1:実際の演者や演奏者の方向から自然に音が到来していると感じられるエリア
※2:各スピーカからの音量を調整して、ある音源から音が広がる様子を仮想的に創り出す技術
※3:電気的に反射音や残響音を付加して、実際にホールで聴くような壁や天井で音が反射して生じる響きに近い雰囲気を作る技術
◆Keynote 2025
Keynote 2025 の会場となったRoundhouse 劇場はもともと鉄道の機関庫であった建物の外観を残して劇場へと改修された施設で、古くからロック音楽をはじめとするポピュラー音楽ファンに愛されてきた。若き日の Led Zeppelin、Pink Floyd、Jimi Hendrix など名だたるアーティストも、ここでライブを行った記録が残っている。

今年紹介された製品は、中~小規模の施設向けの製品や、既存のプロセッサやアプリケーションの拡張システムなどが主であった。以下にその概要を紹介するが、詳細は同社の YouTube チャンネルにアップロードされた動画をご確認いただきたい。
ハードウェア
・LA1.16i
高さ4.4cm x 幅48.3cm(EIA規格1Uサイズ)の小さな筐体の中に、出力160Wのアンプが16個も組み込まれた製品。小規模空間での多チャンネル再生や、ホールや劇場での補助スピーカ用のアンプに向く。
L-ISA Processor 用拡張アプリケーション
・L-ISA2025
同時に8つのエリアに対して音の到来方向の印象や、残響感・広がり感を制御可能となった。
例えばホールのメインフロアとバルコニー下エリアを異なる響きで満たすことができる。
・L-Acoustics DJ
ステレオ録音された音源信号からボーカル、楽器音や効果音などを分離するアプリケーション(音源分離)。
その他
ライブ会場内の音圧分布や、屋外ライブ会場から周辺に音が伝搬する様子をシミュレートするアプリケーションなど。


当日は製品発表のほか、科学や自然現象を音で表現することを試みているMax Cooper による DJ ライブが行われた。会場に常設されたステージ下手/上手のラインアレイピーカ2基に加えて、ステージ中央に 1 基、客席周囲に 4 基のラインアレイスピーカが設置され、これらを L-ISA Processor で制御していた。

今回のライブでは L-Acoustics DJ と音像定位機能によって、聴取位置を変えても各パートのメロディやリズムがはっきりとしていて、音楽の移り変わりと共に、それぞれのパートが空間を飛び交うように聴こえてくる方向が変わる演出がされており、広い空間で行われているライブのような印象が感じられた。
◆音像定位/音場支援システムのデモンストレーション
音像定位と音場支援システムを統合した HYRISS、そして音場支援システム Ambience に特化したデモンストレーションも実施された。
・HYRISS
このデモはロンドンのハイゲート地区にあるラボラトリー兼オフィスで行われた。HYRISS は住宅や商業施設など、どちらかといえば小規模空間に向けて開発された L-ISA Processer 内のアプリケーションの一つで、映像作品やライブ録音の鑑賞に、臨場感を持たせるために開発された。

映像作品の音声データから、膨大な音声・楽音・効果音のデータベースと照らし合わせて音源分離を行い、それらの音源に対して音像定位機能を用いることで、室内のどこで聴いても映像の中の音源から音が発せられている印象が得られる。
このラボには、計 3 台の箱型スピーカが正面のスクリーンを囲うように配置され、コラム型スピーカとサブウーファが三方の壁面に14台配置されていた。当日は、ライブ録音や映画などを鑑賞しながら、どちらかといえば音像定位にフォーカスを当てたデモが行われた。ライブ録音の再生では、ボーカルが中央、ギター・ベースがその左右に定位し、それぞれの楽器の旋律がよく分かる印象であった。また、曲が盛り上がり音量が大きくなっても、セッションの様子がよくわかった。映画は「トップガン マーヴェリック」のワンシーンを鑑賞した。トム クルーズ演じるマーヴェリックが海軍戦闘機を操縦して低空高速飛行するシーンでは、鑑賞した席の背後から前方へと爆発的なエネルギーで戦闘機が飛び去る様子を音で感じさせてくれた。

(スクリーンの左右に並べられた縦長のスピーカ)
個人邸で気軽に空間オーディオやサラウンド再生を楽しめる機器やフォーマットが様々開発されているが、基本的にフォーマット間の互換性はない。HYRISSでは、異なるフォーマットで記述された様々なコンテンツを楽しめる。また、ステレオで記述された音声データに空間オーディオ※4、サラウンド効果を持たせられる。これは、映画・オーディオファンにとって大きな魅力ではないだろうか。
※4:音が左右・前後・上方など様々な方向から聞こえてくるように再生する技術。
・Ambience
Ambience もL-ISA Processer 内のアプリケーションで、マイクで収録した音源信号に、レベルコントロール、イコライジング、遅延などの信号処理を施して反射音として実音場に付加することで、電気的に響きの印象や長さの調整を可能としている。ここでは、床面から 4m程度の高さにある 16本のマイクロホンと 21台のスピーカにより音場支援を行っていた。三段階の異なる残響時間(0.5~1.5 秒)を模擬するプリセットが組まれ、iPad 上のフェーダーにより、さらに細かな残響時間のコントロールも可能であった。

デモンストレーションとして、チェリストの William Jack によるコンサートが催された。J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲やオリジナルの楽曲をプリセットされたいくつかのパターンで聞き比べたが、個人的には最も短い設定が、デモ環境に適した響きに感じられた。ほかの音場支援システムにも共通するが、聴いている実空間に対してあまりに⾧い響きの付加は、直接音と反射音/残響音の不自然な”つながり”を感じさせることが多い。芝居の効果音再生やあくまで補助的な響きの付加には活用できそうであるが、響きの質を求めるクラシック音楽ファンにとって実空間とかけ離れた⾧い響きの付与は、今のところ受け入れられるものではなさそうに感じられた。
以上、Keynote2025 における製品発表とデモンストレーションについて紹介した。ここで紹介しきれなかったライブやミュージカル体験はまた別の機会に紹介したいと思う。大型施設での SR システム構築で、大きな信頼が寄せられるメーカーの一つである L-Acoustics だが、今後はさらに小規模空間へもその高度な技術を広めそうだ。広く一般に、臨場感のあるサウンドが浸透すれば、劇場やホールの音響技術の底上げにもつながる可能性がある。同社の今後のイノベーションに注目である。 (和田竜一記)