No.445

News 26-06 (通巻445号)

News

2026年06月25日発行
サロンホール内観 ©KEIKO CHIBA

NoteTrail 音楽サロン

 横浜南区に、NoteTrailという小さな音楽空間が誕生した。市営地下鉄ブルーラインの吉野町駅から徒歩6分、住宅に囲まれた一画に所在している。オーナーのChungHsiangさんは、洗足学園音楽大学音楽学部出身の作曲家で、ご自身が最も力を入れている室内楽について、「小規模な編成に最適な空間があれば、もっと色々なことができるのではないか」との思いが音楽サロン計画のきっかけになったと伺った。

外観 ©KEIKO CHIBA
外観 ©KEIKO CHIBA

◆NoteTrailに込める思い

(鍾祥さんから寄せられた紹介文より)

 「Note」には「音符」、「Trail」には「軌跡」という意味があります。これらを組み合わせた「NoteTrail」という名前には、二つの願いを込めました。

 一つ目は「クラシック音楽の歴史」です。数百年の歴史を持つクラシック音楽は、まさに人類が刻んできた「音符の軌跡」そのものです。(もちろん、ジャンルを問わず音楽すべてを歓迎します。これはあくまで私個人の想いです)。

入口 ©KEIKO CHIBA
入口 ©KEIKO CHIBA

 二つ目は「残響」です。響きが消えた後も空間に残る余韻は、いわば「音の軌跡」と言えます。「クラシック音楽の歴史」と「空間に宿る残響」。この二つが重なる場所で、心ゆくまで音楽を楽しんでいただきたいという願いを込めました。

 これからは、本格的なAIの時代が訪れるでしょう。 AIがさらなる発展を遂げれば、人間が労働から解放されるかもしれませんし、作曲や演奏の技術においてもAIが人間を上回る日が来るのかもしれません。しかし、どれほどAIが進化しようとも、「人間が自ら体験すること」に取って代わることはできません。

 ある空間で、自分の耳で楽器の振動や空気の震えを感じること。そして、自分が作った音楽が演奏によって具現化される瞬間や、目の前の演奏者や自分自身の手によって、楽譜から音楽を紡ぎ出すのを実感、意識すること。つまり、自らの意志で想像を現実に変えるという体験。それこそが、音楽の本質であると私は信じています。

 このような「人間だからこそ得られる体験」は、これからの時代、さらにその価値を増していくと確信しています。このサロンが、未来へ向けて「人間性の拠り所」となる場所になれば幸いです。

◆建物の概要

 音楽サロンは、間口約7m x 奥行約17mの細長い敷地を最大限利用して木造2階建で計画された。内部には2階吹抜けのサロンホール、楽屋(1階)、スタジオ2室(2階)他がコンパクトに収められている。設計は大塚亮さん(Ryo Otsuka Architects一級建築士事務所)、施工は和田建築株式会社。大塚さん・和田建築さんとの協働は、マリーコンツェルトに続いて2度目である。マリーコンツェルトのRC造に対して、今回は木造で計画したいとのことで、まずは屋外との遮音性能に注意を向けた。構造上外壁と内壁を完全に分離することはできないものの、主要部は支持する下地を分けて両者の音響的な結合を避けた。屋根にも同様な仕組みを施している。

1階平面図 ©Ryo Otsuka Architects
1階平面図 ©Ryo Otsuka Architects

◆サロンホール

 サロンホールは、幅約4m x 奥行約9m x 高さ8m、幅に対して約2倍の高さを有する空間で、演奏規模に応じて客席を35〜50席並べることができる。客席椅子を収納して録音・録画スタジオとして使うことも想定されており、そのための録音・録画設備も充実している。

 室内音響計画ではまず、音響的なモードの重なり(縮退)の発生を避けるために壁と天井に若干の傾きを付けた。視覚的にはそれを感じさせない空間デザインである。

 また、この天井の高い空間の響きを調整するために、設計段階では壁面の一部に吸音仕上げを計画していた。一方で、小空間の場合は聴衆の有無で響きの印象が大きく変わるので試奏・演奏を経て響きの調整を行う方が良いという経験上の認識もあったことから、施工途中で上記の吸音仕上げは取り止めて仮の竣工を迎えた。その時の響きの長さは、残響時間2.0秒、平均吸音率0.07であった。

サロンホール内観 ©KEIKO CHIBA
サロンホール内観 ©KEIKO CHIBA

◆音響調整

 サロンホールには、小空間に適したグランドピアノであるピアノスタインウェイB-211が納入された。洗足学園音楽大学ピアノコースの吉武 雅子教授に試奏していただき、空席での響きの具合を確認した。高い天井による上方からの響きの余裕は感じられたものの、ピアノを囲む壁が近いためか多少の圧迫感と音量過多を感じた。吉武先生からは、経験の浅いピアニストには響きが多すぎる・合奏時にアンサンブルが取り難いかもしれない、というコメントをいただいた。

柱状拡散体を設置 ©日本音響エンジニアリング
柱状拡散体を設置 ©日本音響エンジニアリング

 当初計画していた吸音材による調整も一案ではあったが、実際の演奏会では聴衆による吸音が増えること、一方で上記試奏で感じた圧迫感はピアノを囲む壁からの強い近接反射によるもので聴衆が入っても解消し難いと判断した。そこでこの強い反射音を和らげる効果が期待できる「柱状拡散体」の設置を提案した。

 この柱状拡散体は試用できるということで、コーナータイプ2基、壁タイプ2基、床置タイプ1基を借用し、再び吉武先生による試奏・試聴を行った。コーナータイプ → 壁タイプと増やすことで、音量感は変わらないものの、当初感じた圧迫感が解消し聴きやすい方向への大きな変化を感じた。さらに、ピアノの下に床置きタイプを設置した際には、ピアノの下からの音の到来を顕著に感じた。吉武先生の印象の変化は更に大きく、演奏し易くなる方向へのポジティブな変化を感じていただけた。ただし、床置きタイプによる下からの音量増大は、ピアニストによって評価が別れるかもしれないとのことである。

◆ブエノスアイレスの春2026 in 横浜

 試用期間中の柱状拡散体を設置した状態でレジーナ三重奏団の演奏会が行われた。この合奏団はヴァイオリン・チェロ・ピアノのトリオで、アルゼンチンの作曲家アストル・ピアソラの作品を演奏するために、2016年に結成された。当日もピアソラの曲でプログラム構成されていた。

 満席の状況で、しかも弦楽器を聴くのは初めてであった。1曲目(天使の死)の冒頭、音の大きさが想像以上で、しかもピアノの音量が大きく弦の動きが捉えにくかった。2曲目以降、ピアノの音量が大きいのはそのままだったが弦楽器のそれぞれの動きが聴き分けられるようになり、自分の耳が会場の響きに慣れて行くのを意識した。この日の響きは鍾さんや奏者をはじめ関係者に好評で、調整要素として柱状拡散体が採用されるに至った。

レジーナ三重奏団演奏会のフライヤー
レジーナ三重奏団演奏会のフライヤー

 以上のような調整を経てNoteTrailの本格運用が始まった。小さな空間の響きの調整要素としての”音の散乱”は、今後に向けて貴重な経験であった。引き続き、様々な形態の演奏を通じてその効果を見守りたい。(小口恵司記)

NoteTrail: https://www.notetrail.jp