永田音響設計News 91-9号(通巻45号)
発行:1991年9月25日





東京芸術劇場中ホールの問題

 東京芸術劇場中ホールを巡って批判がとびかっている。いずれの施設でもオープン当初にはいろいろなレベルの問題があるのが常で、運用者側にとっても使用者側にとっても、ホール本来の姿が掴めてくるのは2~3年後ではないかと思う。しかし、この中ホールの問題は今後の公共劇場の建設の考え方、計画と設計の進め方について基本的な問題を提起しているように思う。ここに私なりに現在の問題点を整理してみた。

1. 公共貸し館劇場のあり方
中ホールの舞台設備
 一口に演劇といってもその内容は千差万別であるから、劇場というのは本来劇団に所属すべき施設であり、これを一つにくくること自体に無理がある。これがコンサートホールと基本的に異なる点である。クラシックコンサートを対象とした貸しホールは成立しても、貸し劇場となるとむずかしい。さらに、公共施設となると事はいっそう面倒になる。
 ところで、貸し劇場となるとその在り方には二つ方向があるように思う。一つはあらゆるジャンルの演劇に対応できるよう可変装置をフルに導入し、舞台設備の拡充をはかるという方向であり、もう一つは逆に何もない空間だけを提供するという方向である。

 最近、ロサンジェルス在住の劇場コンサルタントの小川俊朗氏の話しを聞いたばかりであるが、アメリカの劇場はほとんどこの後者のタイプであり、使用者がその演出によって舞台設備を自由に構成してゆくスタイルとのこと。わが国でも、セゾン劇場のオープンの時、ピータ・ブルック演出のカルメンでは客席まで変更したという事実を思い出した。ところが、現在のわが国の公共文化施設の計画で、設備持ち込みを前提とした白紙の劇場というのは受け入れられないことは当然である。新しい施設では少しでも他館より規模は大きく、充実した設備が求められることは自然な流れである。800席というこのホールの規模、充実した舞台照明、機構は新劇からミュージカル、伝統芸能など上特定の出し物を意図した当然の結果である。しかし、いくら設備は立派でもこれは主なき施設であり、現在の時点で舞台設備の効果を十分に発揮できる出し物を外に求めることはむずかしいであろう。水戸芸術館のように自主企画の出し物でアピールする以外にはないと思う。
 多目的ホールの音響設備でもこの種の問題は昔からあった。プロの楽団は固有の設備とともに巡業しているから余計な設備は上要である。機器の設置場所、搬入経路、電源さえ用意してくれればよい、という考えである。しかしハウス設備はホールの顔であリ、これを省略することはできず、年々拡大の方向に向かってきたことは事実である。
 この種の公共貸し劇場の建設にあたっては、多目的ホール時代の勢いからどうしても劇場の最新設備を追及する方向にのみ走りがちであるが、今後は使用の実態までを冷静に見通した観点からの小屋計画が必要であろう。また、芸術監督をおく水戸方式も一つの方向である。しかし、これは基本構想に関わる問題である。これを次に述べたい。

2. 建設委員会と劇場コンサルタントの役割
 公共施設の建設ではまず建設委員会が設置され、ここで施設の基本的な性格、建物の規模が決定される。建築設計はその枠の中で行われるというのが常である。東京芸術劇場の場合でも二段階の建設委員会に引き続いて、専門家を中心とした技術委員会が組織されている。施主側としては万全を尽くしたというべきであろう。これだけの体制から生まれた施設でこの種の問題が発生したことを厳粛に受け止めるべきである。

 私もこの種の委員会に関係したことがあるが、中には通過儀礼的な委員会もなくはない。共通していえることは、委員会は答申を出せばそれまでで、設計から建設、まして運用にまでは繋がらないという点である。答申内容も抽象的であり、施主側も無難に事を進めたいという姿勢が基本にある。とくに劇場の場合には、客席規模と舞台設備の性格、仕様は決定的な条件であり、この設計には運用の実態までを見通した具体的なコンセプトが必要である。今後の公共劇場の場合、建設委員会の役割と責任は見直すべきであろう。本施設関連の委員会の中で異色なのはオルガン委員会であり、ホールがオープンした今日でも委員会は活動しており、披露演奏会の計画にまで関与している。また委員の中には現場にしげく足を運ばれ、現場の抱えるあらゆる問題の調整を計っておられる方も少なくない。劇場について求められるのはこの種のコーディネーションなのである。今後の劇場計画の一つの参考になれば幸いである。建設的なご意見をいただきたい。

3. 劇場の音響設計
 劇場の音響といえば、何よりも台詞が明瞭に聞きとれることが基本である。本劇場においても“聞こえない”というような批判があるようだが、聞こえる、聞こえない、という問題は結果は明白であるが、その内容は簡単ではない。この問題には次に示すように四つの条件が関与する。

     a. 発声者の条件: 声の大きさ、質、発声の向き
     b. 舞台の条件 : 反射面の有無、吸音の程度
     c. ホールの条件: ホールの大きさ、観客との距離、吸音の程度、エコーなど障害の有無
     d. 暗騒音の程度: 観客のどよめき、効果音のレベル

 上記の中で重要なのは発声者の条件とホール内の暗騒音である。オペラ歌手は2000席の大ホールを大音量で満たすこともできるが、台詞ではささやきもあり、また、後を向いて喋らなければならないこともある。800席の規模のホールで観客が沸いた時、また、効果音が流れているときにあらゆる台詞が聞こえるかどうかは、ホールの音響だけでは解決できない問題である。以上は“生”の声の場合であるが、ミュージカルのように電気音響を使うことを前提とした出し物の場合にはさらに設備の機能と使い方という条件が加わる。
 また、これだけ電気音響が普及した今日では環境騒音の増加もあって観客側も好ましい聴取レベルは昔に比べて増加していることは事実であり、聴取レベルに対しての配慮も重要である。国立劇場ではかなり前から電気音響設備による台詞の拡声を行っている。
 ところで、音響設計という面からみても、劇場は音響上の原理原則を貫くことができない対象である。見やすいという条件からの室の形や客席配置、吸音性の舞台など、反射面の設計がゆるされるのはまず天井の一部でしかない。現在の劇場の多くの点で好ましい音響条件から外れているのである。
 いろいろな点を考えると生の音を余裕をもって聞かすには、300席程度の小劇場しかない。この800席という規模の空間で明瞭度を確保するには演出上の工夫か、電気音響設備の利用以外にはないのではないかと思う。

書棚の整理(最終回)

 先々月号より紹介している書棚の整理の最終回を紹介する。これは雑誌“新潮45”の5月、6月号の特集記事「書棚の整理《に掲載された諸先生方の書斎の現状の報告である。

青木正美(青木書店店主)―「岩波ブランド《の没落現象―
▼息子にこの店を任せて七年になる。昨今は定価より安いからと古本屋を利用する客は、ここ東京は葛飾の下町でも激減、打開策として息子は古本を扱う傍らファミコン・ソフトの販売を始めた。. . . . 私の切り開いて来た古書の分野がどうやら一代限りで終わる見通しとなった事も、この計画を思いつかせた一因であった。
▼思えばこの五十坪の書庫は、外見はなんの変哲もないスレート葺きの倉庫にすぎないが、書棚の内容は大きく変動した。「歌は世につれ《というけれど、古書の世界もまさしく「本は世につれ《なのだ。
▼作家はなにほどかでも死後の自著の運命を念頭に置いて仕事をして欲しいものだ、とある古本屋のおやじは愚考するのだが. . . . 。

河盛好蔵(フランス文学者)―「本の虫干し《その愉悦と憂欝―
▼蔵書家にとっての最大の楽しみは時々本の虫干しをやって久しぶりに自分の持っているあらゆる書物と対面することであろう。
▼. . . . 整理する度に、「まだ読まないのか!《とにらみつけられるような大部な全集ばかりがふえてゆくのは決して楽しいものではない。
▼今まで蓄めこんだ知識を全部棄てて、もういっぺん初めからやり直すことが手軽にやれるようになってほしい。つまり本棚の整理などはできるなら、しないで済ませたい、というのが私の本音である。

森毅(評論家)―書庫も頭も、ぼくの古本屋―
▼ぼくは机を持たない。読書も執筆もぜんぶベッドの中。そのあたりに本を読む場所はあまりない。だから読んだらすぐに書庫に放り込む。
▼それでも本はたまる。雑誌は読んだら捨てるが、本はちょっと惜しい。それで年に数百冊ずつぐらい、図書館に寄付することにしている。
▼ぼくの読書法は、快食快便読書術ないしはバックグラウンドリーディングと称していて、頭を消化器官に見たててそこに本を流すだけだ。頭の調子によって吸収したものだけが栄養になって、無理に吸収しようとしたら便秘する。どんどんいれてどんどん出す。メモのたぐいは一切とらない。
▼これも、どんどん忘れたアイデアをほうりこんだ、頭の中の古本屋にムダが貯金してあるからだと思う。 . . . . 整理してなんでも役にたてたがる人間は、ムダの貯金がないからだ、と整理音痴のぼくは自分を正当化しているのである。

出口祐弘(作家)―「書斎人失格者《の本とのつきあい方―
▼書棚は、それ自体が、愛憎の交錯するなまぐさいドラマの舞台になってしまう。だから、少々先回りしていうと、この種の書棚は整理整頓などできないのが本来なのだ。
▼私は自己診断によるとわりあいに綺麗好き、整頓好きで、ごみだらけの部屋の、足の踏み場もない惨事を掻きわけて坐るとか、寝るとか、そういう豪傑タイプではない。 . . . . だが、整理はできない。というよりやらない。
▼本の種類を、まっぷたつに分ける。仕事の資料、これが一つ。中毒症状を起こすくらい好きな本、これが一つだ。資料の方は、使って上用になったらどんどん処分する。中毒本のほうは、むろん数多くないから、たとえば、ボードレールの詩集は、せいぜい奮発して版画入りのを買い込む。 . . . .十日にいっぺんぐらい開いてみずにおれない作品だけ、これもできれば装幀をやり直してもらって、偏愛本の書棚に安置する。

NEWSアラカルト

◆9月18日:スタジオと電子音楽、民族音楽用の小ホールを中心とした国立音楽大学の6号館がオープン。音楽大学での新しい運用が期待されている。

◆9月23日:クラシックコンサートを指向した2000席の岡山シンフォニーホールがオープン、23日サヴァリッシュ、N響を幕開きとして、アムステルダム・コンセルトヘボウ、国立パリ管弦楽団、アルバン・ベルク四重奏団、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団などの豪華なプログラムが続いている。

 問い合わせは:(財)岡山シンフォニーホール 岡山市表町1-1-15
         Tel:0862-21-6066、32-7640まで。

◆9月10日~18日:鈴木健二演出、劇団太虚<TAO>による“白髭のリア”第二部「嵐《が墨田川の東、1万坪の住友ベークライト跡地の架設の野外劇場で行われた。この上演には松下グループが開発したSMARTシステムといわれる音像定位システムが使用され、当事務所電気音響グループも協力した。折りからの悪天候の中の野外演劇、関係者一同、雨と風とたたかいながら貴重な経験を積んだ。次の機会に活かせることを期待している。

白髭のリアの舞台


永田音響設計News 91-9号(通巻45号)発行:1991年9月25日

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