No.287

News 11-11(通巻287号)

News

2011年11月25日発行
施設外観

アメリカ創価大学にパフォーミングアーツセンターがオープン

 米カリフォルニア州オレンジ郡にあるアメリカ創価大学のキャンパス内に新しいパフォーミングアーツセンターがこのたび完成し、9月17日にオープニングコンサートが開催された。

施設概要

 新設された4階建ての建物内には、約1,000席の多目的ホール、約150人収容のブラックボックスシアター(多目的スペース)、練習室および事務室が含まれている。建築設計はZGF (Zimmer Gunsul Frasca Architects)、舞台設備設計はAuerbach Pollock Friedlander、施工はMcCarthyで、永田音響設計は設計段階から工事完了までの建築音響設計および騒音防止設計を担当した。総工費は7,300万ドルである。以下、多目的ホールを中心にレポートする。

施設外観
施設外観

ユニークなスタイルの実現

 大学の多目的ホールと言えば一般的に式典やレクチャーなどが主な用途であり、横長のステージ開口を持つ講堂タイプをまずは思い浮かべるかもしれないが、本施設の多目的ホールは非常にユニークなスタイルである。舞台芸術関連の教育に力を入れたいクライアントチームの中でも特に熱心なクラシック音楽ファンの方から、回数は少ないながらも地元のプロのオーケストラを定期的に招いてのコンサートシリーズや、その他にもクラシック音楽の自主公演をいくつか企画していきたいという強い要望が出た。また、多目的用途でありながらも、他ではみられないようなユニークさがデザインに求められた。そういった要望に応えるべく、音響をより重視した斬新なホールの実現を目指すことになった。

フルオーケストラサイズのステージ
フルオーケストラサイズのステージ

ステージと客席

 ステージと客席とが相対する講堂のようなありきたりのスタイルではなく、フルサイズのオーケストラが収容できるステージを持ち、それを取り囲むように客席が配置されたアリーナ型が採用された。ステージと客席の距離が近く、親密感や一体感を得やすいレイアウトとなった。ステージについては、通常のオーケストラコンサートの形式に加え、ステージの一部を沈めて両サイドに客席ワゴンを設置することによりスラストステージ形式にも設定できるようになっている。また、舞台幕をバトンから吊り下げて、不完全ながらプロセニアム形式にもすることができる。劇場のような大掛かりな昇降装置や広い舞台袖スペースは無いので制限はあるものの、こうしたいくつかのステージセッティングが幅広い催し物への対応を可能にしている。オーケストラコンサートの形式のときにはステージの床面と客席最前列のあいだの段差が無く、通常のホールではなかなか得られないオーケストラとの親密さを体感することができる。

スラストステージ
スラストステージ
舞台幕設置時(プロセニアム形式)
舞台幕設置時(プロセニアム形式)

視覚天井と音響天井

 天井は機能的に視覚天井と音響天井の2層に分けられる。写真内に見ることができる緩やかにカーブした天井面は木のルーバーが吊り下げられたもので、その上部には音響上非常に重要な固くて重い天井面があり、木のルーバー面の形状とは全く異なる。ルーバー上部の大きな空間は、音響上必要な天井高と豊かな響きを得るために十分な室容積の両方を実現させている。音響天井から反射してくる音を邪魔しないように、木ルーバーの視覚天井が音響的にできるだけ透過なものとなるように、その詳細形状の検討を重ねた。視覚と音響のデザイン要素がうまく組み合わされた良い例である。

断面図(二重天井と音響カーテン)
断面図(二重天井と音響カーテン)

吸音カーテン

 多様な催し物に対応できるように吸音カーテンの機構が組み込まれている。その電動式のカーテンは視覚天井の上部やステージ背後のルーバー壁の中に隠れており、ステージや客席からはほとんど目に入らない。カーテンは単純な横引きの方式で、ボタン操作一つ、ものの2〜3分で設置および収納ができる。オーケストラコンサートのステージ形式にしたとき、中音域(500Hz)における空席時の残響時間の測定値はカーテン収納時2.4秒、カーテン設置時1.8秒で、聴感上もかなりの差があることを確認している。

オープニングシリーズ

 9月17日のオープニングでは、地元オレンジ郡のパシフィック・シンフォニーによるコンサートが行われた。曲目はアダムスの難曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲2番、プロコフィエフのロミオとジュリエット、そしてラヴェルのダフニスとクロエで、いずれも熱の入った素晴らしい演奏を聴くことができた。また、10月23日にはポリネシア・ミクロネシアのダンスパフォーマンス、10月28日にはジャズ・フェスティバルの初日の演奏を堪能した。来年にはパシフィック・シンフォニーの2度目の演奏会やエマニュエル・アックス氏のピアノリサイタルも予定されている。今年で設立10周年を迎えた大学キャンパスは、ロサンゼルスから南に車で1時間ほどの距離にある。機会があれば是非訪れていただきたい。(菰田基生記)

 アメリカ創価大学:http://www.soka.edu/about_soka/our_campus/Soka-Performing-Arts-Center.aspx

日本橋三井ホールでUIA2011 TOKYO 世界建築雑誌編集長会議

 UIA世界大会が9月の終わりに東京で開かれた。この大会は国際建築家連合(UIA)により3年に一度開催される大会である。今回、東京フォーラム、丸の内地区を中心に開催され、日本橋三井ホールでは「世界建築雑誌編集長会議」が行われた。フランスからL’Architecture d’aujourd’hui、イタリアからDomus、イギリスからThe Architecture Review 、アメリカからArchitectural Record、そして日本からは日経アーキテクチュアが参加し、各誌それぞれの紹介および動向のプレゼンテーションと、建築家の古市徹雄氏がまとめ役で、パネルディスカッションが行われた。日経アーキテクチュアはニュース配信的な色合いが濃く、他の海外の雑誌と異なっていたが、その他の雑誌の中には創刊100年を超えるものもあり、文化・芸術の一つとして建築を発信していく担い手としての責任感が感じられた。

UIA2011世界建築雑誌編集長会議
UIA2011 世界建築雑誌編集長会議

 さて「日本橋三井ホール」だが、日本橋東地区再開発の一番手を切って昨年開業した地上22階建ての商業+事務所施設「コレド室町」の中間階にある。この11月でオープン一周年を迎えた。建物全体の設計は日本設計で、ホール部分の建築設計は都市建築デザイン、永田音響設計はホールの室内音響、騒音防止に関するコンサルティングを担当した。

 ホールは箱形の平土間形式で最大1,000人収容でき、移動観覧席や移動椅子を設置した使用も可能である。展示会、パーティ、株主総会などのビジネスユースからポップスコンサートまで幅広い利用を想定している。上下階の商業、事務所ゾーンとできるだけ音響的な独立を図るため、ホールは防振遮音構造を採用し、上下階との高い遮音性能を確保した。またホールの内装は電気音響の使用が主体となることから、リブ+グラスウールなどの吸音構造をホール全体に分散して配置し、抑えた響きとした。内装はシックな色合いで大人のイベント空間、といった雰囲気である。通訳ブースが2室備えられており、前述の編集長会議でも使用されていた。メトロの駅にも直結してアクセスもよく、ホールでは様々な催し物が行われている。催し物のスケジュールやホールの各種レイアウトなどはホームページでご覧になれる。(石渡智秋記)

客席設置時
客席設置時
平土間時
平土間時

 日本橋三井ホール:http://www.nihonbashi-hall.jp/

コンサートホール音響実験用模型製作の回想 − その1

 大規模なコンサートホールや劇場のプロジェクトでは、早期のコンピュータ・シミュレーションと1/10縮尺模型による音響実験によって精度の高い室内音響設計が行われています。その音響実験用の模型製作を多く手掛けてこられた棟梁の海老原信之氏にこれまでの模型製作を振り返っていただきました。

音響実験模型の製作

 音響実験模型の製作に携わって、いつの間にか二十数年が経ちました。それまで、三十代に手の届くまでは主に数寄屋・茶室の仕事をしておりましたが、そのような普請をする方も徐々に減ってまいりました。そんな折、音響模型の仕事を依頼されることとなったのです。一口に木工といってもたくさんの職種があります。音響実験模型はどのような業者に依託すればよいのか、皆様迷う所と思われます。私とて模型の専門業者ではありません。専門とするにはあまりに物件が少ないのです。おそらくは細かく緻密な施工を生業としている数寄屋大工であれば何とかするだろうとのお考えから、まかされたものと思います。今までに二十件以上の音響実験模型を手掛けてまいりました。

初めての音響実験模型(東京芸術劇場大ホール)1988年 4月〜9月

 初めてコンサートホールの図面を目にした時は、本当にこれを造れるだろうかと不安で胸がいっぱいになりました。同じ緻密な作業とはいえ、石や丸太の表情を出すために微妙に仕口を削り込んで行く数寄屋の複雑さとはまるで違います。要求されるのは精度だけでした。当時はユニット単位で工場加工し、現地で組み立てるという工程は確立されておらず、全ては現地で切ったり削ったりして組み立てておりました。あそこが合わない、ここが合わない、と施工図担当の方と原寸を確認したり計算し直したり… 今思えば大変な労力を費やしておりました。実物の型枠も大変な苦労をされたようで、原寸を起こすため近郊に千坪の平らな敷地を用意されたそうです。

 ある日、芦原建築設計研究所の芦原先生が模型を見学に訪れるということで、朝から徹底的に清掃し私共はその場を去りました。後に聞いた話ですが、先生は模型の中に手弁当を持ち込み、しばらくの間閉じこもっておられたそうです。やはり名のある方は常人では考えつかないことをされる、としきりに感心したものです。とても暑い夏でした、池袋の現場の片隅に模型のためのプレハブ小屋があり、窓もなかったので、日中は焼けつく様でした。すぐ横では絶え間なく地中杭をはつる騒音と振動があり、模型小屋は常に小刻みに揺れておりました。そんな劣悪な環境で仕事に集中出来たのはやはり若かったからでしょうか。当時はパソコンも携帯電話も普及しておらず、二百ページを超える意匠図も施工図も全て手描きであり、何か伝えたいことがあれば遠い現場事務所までてくてくと歩いて行かねばなりませんでした。今から比べればのんびりした感じはありますが、多くの人々が集まって建造物を造るという行為のなかに、何か温かい物が流れていたような気がします。

 音響実験模型の深意も介さず、ただただ形を造ることに夢中になっていた初めての模型製作でした。(海老原信之記)