永田音響設計News 94-9号(通巻81号)
発行:1994年9月15日





音楽、楽器とホールの響き

 先月のニュースで、古楽器演奏と現代の日本のホールの響きとの問題点が取り上げられた。音楽、楽器、演奏空間相互の関係はそれほどリジッドではないとしても、それなりに許容できる枠組みがあるように思われる。例えば、オルガン製作にあたってはコンサートホールと教会空間をどのようにとらえるかは基本的な課題であろう。教会とホール空間との音場の違い、聞え方の違いについては昨年行われたオルガン会議のシンポジゥムにおいて音響技術の点から説明できる事項を述べておいた。今回は同じ論点から古楽器演奏と演奏空間の問題にふれてみたい。

 古楽器による演奏を聴いてまず感じるのは、音量感の上足ではないだろうか。しかし、しばらく聴いているうちに、いつしか、演奏に引き込まれてしまうことが多いように思う。古楽器の場合には、空間に充ち充ちた響きよりも、むしろ、より近くデリケートな音を楽しみたいという気持ちになる。
 筆者は適切な音量感が音響効果の基本であると思っている。音量上足も過大な音量も同様に音響効果としては好ましくないことは理解いただけると思う。主観的な音量感というのは単純なものではないが、次の二つの基本的事項から音量と聞こえの問題を説明することができる。その一つはホール内に一定の出力の音源があったときの室内の音の平均的な強さであり、もう一つは音量による耳の感度の周波数特性の違いによる音色の変化である。
 残響理論によれば、室内に一定出力の音源があるとき、室内の音の強さEはホールの残響時間RT(s) に比例し、室容積V(m3 )に反比例する。 すなわち、

              E=k×RT/Vである。

この関係を図示したのが右図である。図の横軸は室容積、斜線が残響時間、縦軸は室内の音の強さのレベルの相対値で、ウィーン楽友協会大ホールの値を0dB として示してある。この値は1000~1500席クラスの中規模コンサートホールの代表と考えてよいであろう。この規模のホールと比べると、聴取レベルはサントリーホールクラスの大ホールでは約2dB 小さく、カザルスホールクラスの小ホールでは逆に2 ~3dB 大きくなる。また、200~300席クラスの教会では6dB程度大きくなる。音の強さで3dB の違いはエネルギーで2倊、6dBの違いは4 倊だから、この違いは無視できない音響条件といってよいであろう。
ホールの室容積、残響時間、聴取レベルの関係


 ここでもう一つ忘れてならないことは、私たちの耳の聴感特性である。耳の感度、つまり音の大きさの感覚は周波数によって異なるが、面倒なことに次の図のように聴取レベルによっても変化する。耳の感度は2000Hz~4000Hzの帯域でもっとも高く、低い周波数帯域、高い周波数帯域で低くなるが、レベルが小さくなるほど感度の低下の傾向が強調される。これは聴取レベルが小さくなると、聴取音の周波数バランスが変わる事を意味している。作曲家や演奏家が意図した音量から逸脱しないことが大事な聴取条件であることはこの耳の特性を考えれば明らかである。
耳の感度の特性


 マイクロホンやスピーカが日常生活の中に登場してきたのは戦後である。環境騒音の増加ということもあって、電気の力による信号音の増強は当然として受け入れられている。これは昼間でも室内の照明があたりまえとなっていること同様に、環境条件の大きな変化といってよいであろう。楽器も音量の増という方向で開発が繰り返されてきた。結果として、小さな音、かそけき音に対しての関心が薄らいできていることも事実である。
 古楽器の音には蝋燭の灯、障子を通してくる木洩れ日に似た美しさがある。近代設備のパワーにはかき消されてしまいがちな対象である。古楽器演奏にふさわしい空間の再現は可能だとしても、音量感覚の変化というのはわれわれが古き時代の音楽に対するときに残された基本的な問題ではないだろうか。

福岡ドームで聴いたポップスコンサート

 あまり縁がなかったポップスコンサートであるが、8 月の末、福岡ドームにおいて来年の夏に開催されるユニバシアード福岡大会のTHE KICKOFFとして行われたコンサートを聴く機会があった。短時間の体験であったが、その感想をまとめておく。

 この福岡ドームは昨年の春に竣工した開閉式の屋根をもつ大型のイベントドームである。この種の巨大ドームはゼネコンの技術力が結集した施設であり、この福岡ドームも竹中工務店、前田建設のJVによる設計、施工で誕生している。収容人員は52,000人、天井高80m、室容積1,760,000m3、 V/S=12.6というコンサートホールの空間からは想像できない大規模空間である。音響だけではなく、構造、空調、照明、雨水の処理、避難などいずれをとっても新しい建築技術の集積を感じさせる施設である。
 コンサートは16時から21時30分という長丁場、12のプログラムで構成されていた。開場は2 時間前の14時、客は三三五五と入り、開演中も出入りは自由、スタンドの外側のコンコースにはドリンク、軽食コーナーが設けられている。
 中野のサンプラザでも経験したことだが、入り口で荷物のチェックがある。会場に入るとやたらに警備員が目につく。開演前なので、歩きまわっていると必ず寄ってきて、チケットの提示を求められる。それに内部が暗い。チタンの屋根に輝くこのドームの外観には一種の気品が感じられるが、内部の暗さは最近の施設としては異常である。荷物チェック、多数の警備員、暗い室内、かっての東欧圏を思いだした。ポピユラー音楽というのはもっと楽しく、明るい雰囲気で行われるべきではないだろうか、というのが率直な感想であった。
 ところで音響設備であるが、仮説の舞台の袖とアリーナの中央やや後方の左右に巨大なクラスターが設けられていた。スピーカ・システムはターボサウンドによる構成、指向性で影になる場所には椅子がなかったり、スタンド席はテープで着席が禁止されていた。このような技術的な配慮はうれしかった。これだけの設備はその設営だけでもたいへんだったと思う。福岡地区の水事情から聴衆の入りに影響があったようであるが、当日の聴衆は2 万人位とのこと、空席がかなりめだった。

 当日はステージスピーカと対向するスタンド席の前壁には吸音パネルが立て掛けられていたが、アリーナ中央部で聞いた場内アナウンスにはかなりエコーがあった。しかし、かねがね噂に聞いていたターボサウンドの音は低音も余裕があり、高音部も刺激的でなく、最近のSR用スピーカの実力を実感できた。音のバランス、エコーの点からいってスタンド席の方が全般的に聴きやすかった。また、幕構造でないだけに低音域の吸音もこの種のドームの課題であろう。資料によれば、残響時間は125Hz で7.5 秒、500Hz で5.7 秒、これから平均吸音率を求めると、それぞれ、0.24、0.30となる。天井面だけの吸音では響きの抑制もこのくらいが限度で、あとは客席面の吸音を考える以外にはないように思えた。

NEWSアラカルト

◆第5 回日本オルガン会議報告書まとまる
 昨年の3 月末、4 日間にわたって行われた日本オルガン会議については本News94-4 号で紹介したが、その会議報告書(132ページ)がまとまり、日本オルガン研究会から発行された。廣野会長の基調講演、K.ルーダース氏の19世紀のオルガンについての講演、S.ディーク氏のオルガン建造についての講演、ロマンチックオルガンをめぐってのシンポジゥム、オルガン演奏会のプログラムなどが英文、和文で紹介されている。とかく情報がかたよりがちなわが国のオルガン界にあって、海外からの招待講演を軸とした今回のオルガン会議は内容の濃いものであった。
 本報告書の購入については日本オルガン研究会事務局、〒156新宿区富久町1-6今井方、Tel&Fax: 03-3351-3358 までお問い合わせ下さい。

◆寺垣プレヤーによる伊藤栄麻さん「ゴールドベルク変奏曲《発表会
 ユニークな発想で開発された寺垣さんのレコードプレヤーΣ5000については、本News94-6号で紹介したが、このプレヤーを用いたゴールドベルク変奏曲の発表会が8 月26日、町田市のオーディオテクニカのホールで行われた。
 演奏者の伊藤栄麻さんとは松本市音楽文化会館(ハーモニーホール)でモーツァルトのピアノソナタを録音されたことがご縁で知己となった。当時、このホールでは一部のピアノの先生方から響きについて批判をいただいている最中だっただけに、伊藤さんのホールの響きにのったすがすがしいモーツァルトは私にとって忘れ得ないものとなった。伊藤さんは楽器とホールの響きについて独自の感性をもっておられる方で、そのような点から寺垣さんグループとの結びつきが生まれたものと理解している。
 今回のゴールドベルク変奏曲の録音は今年の2 月、 T・ガーフィンクル氏を音楽プロデューサーとしたグループによってハーモニーホールで行われた。ピアノは伊藤さん愛用の1903年製作のニューヨーク・スタインウェイで、CD・LP・DATと3種類のソフトがそれぞれ独立した器材で制作された。なお、この録音には3 本柱の頂点からマイクロホンを吊すという寺垣さんのアイディアが導入された。
 8 月26日の試聴会は“究極の音取りの会”という寺垣さんファンの主催で行われた。スピーカーはEV社のスタジオモニターで、始めにCDの一部が、後半はLPによる全曲が寺垣プレヤーで再生された。
 私は今年1 月、浜離宮朝日ホールで伊藤栄麻さんの同じピアノによるゴールドベルクを聴いた。生の演奏と比べると、音楽的にはレコードやCDの方が完成されているかもしれない。しかしこのゴールドベルクは、究極のオーディオとか録音とか、そのようなものものしい雰囲気の中におくべき音楽ではないと私は思う。試聴会では音楽には入り込めなかった。といっても、このゴールドベルクの録音はCDもLPも非常によい。この曲のお好きな方にお薦めしたいソフトである。お問い合わせは下記まで。
(株)マーキュリー Tel:03-5276-6803, Fax:03-5276-5960

本の紹介

◆『光と風の中で』  遠山慶子、聞き手 加賀乙彦  弥生書房発行  定価 1800円
 私も年に2 ~3 回程度だろうか、遠山慶子さんが出演される室内楽を聴いている。ご主人の遠山一行氏とは、飛行機事故でなくなった実弟の直道氏が私と高等学校の同期だったという縁もあり、また仕事の上でお話しするチャンスもあるが、慶子さんのことはステージ上で拝見するくらいであった。
 この本の存在は前々から知っていたが、幸せな音楽家の夢のような物語だろうという程度にしか思っていなかった。しかしこの度、ある方からこの本の推薦をいただき、目をとおしたところ、ピアニストという枠を越えて、その生い立ちから子供の時の学校嫌いの話し、ピアノレッスン、家族のこと、師であったコルトー氏との出会い、その一つ一つが実に子供の時の純真さそのもので語られており、さわやかな感動をおぼえた。紹介がおくれたが、この本は作家の加賀乙彦さんとの対談という形で全体が構成されている。お相手をされた加賀さんの誘導が実に見事で、音楽家からこれだけの内容を引き出すことは並たいていのことではなかったろうと、これにも感動した。
 その他にも、お姑さんの最期の際に子守歌をうたってあげた話し、師のコルトー氏から逃れたいと思うようになったいきさつ、毎朝のご主人のピアノに我慢される話しなど内容は多岐にわたっており、最後に到達するのは神さまの話しである。いずれも、実に素直に語っておられる。子育てを終ってピアノに取り組まれる話しなど、仕事をもっておられるご婦人方にもお薦めしたい本である。(以上、永田 穂 記)


永田音響設計News 94-9号(通巻81号)発行:1994年9月15日

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