永田音響設計News 89-4号(通巻16号)
発行:1989年4月25日





ホール音響について

 音響学会誌の4月号のエコールーム欄に、学会の長老早坂寿雄氏が“ついでに室内音響関連についても一言”というコメントを寄せられている。その内容は現在の室内音響研究についての批判である“intimacyとかwarmth、あるいはblendとかbrilliantなどといったワケのわからない用語が大手を振ってまかりとおっている。・・・この方面(ホール音響の分野)では教祖的、一匹狼的な有吊学者ばかりが目立ち、学問的風潮が育っていない・・・”という手厳しいお叱りである。われわれ、ホールの音響設計で生業をたてているもの、学会の成果を見据えながら、かたや音楽家や音楽愛好家の個性的な主張を相手に仕事を進めているのであるが、学会レベルと設計レベルとの間には大きなギャップがあることを常に感じている。まだ十分整理しているわけではないが、ホールの音響について設計の立場からの所見を申し述べたいと思う。

 早坂先生ご指摘のとおり、室内音響については一応のパラメターが出そろったものの、一体これをどう評価したらよいのか、総合的な評価体系は全くできていないのが現状である。最新のシミュレーション設備を用いて評価実験という一応科学的といわれる手法で結果を整理すれば、学会発表のパラメターは抽出できるであろう。模型実験や、最近ではコンピュータ・シミュレーション手法によってホールの建築図面からパラメターの予測も簡単にできるようになった。
 しかし問題はその先である。各パラメターの最適条件は何か、また障害となる限界はどうか、などが分からない限りこれをベースにして設計も評価もできないのである。たとえば現在のパラメターで東京文化会館、NHKホール、昭和女子大学人見記念講堂、サントリーホールの音響効果の違いを説明できるだろうか?残響特性の法がまだわかりやすく頼りになる。
 現在の室内音響効果の研究の大きな流れは西ドイツゲッチンゲン大学の故マイヤー教授のグループによって戦後開始された。われわれが今日ハース効果として理解しているハースの研究結果が発表されたのが1960年であり、これがゲッチンゲングループの室内音響研究の最初の成果となった。マイヤー教授の構想は無響室内にスピーカによってシミュレーション音場をつくり音響効果を表す音場のパラメターを求めてゆく、というアプローチである。
 まず彼らが着手したのは、ホールの反射音をどの程度簡略化できるかという科学者らしいテーマであった。その後約20年間、このグループからD値(Deutlichikeit)、初期残響時間(EDT=Early decay time)、最近では安藤教授の両耳間相互相関係数(Interaural correlation coefficient)などといった評価量が生まれた。
 また東ドイツのドレスデン工科大学の故ライハルト教授のグループからも同じ手法によって、Clarity(C)、Room response(RR)などが提案されたのである。とくにCとRRについては図-1に示すようにバロック音楽、ロマン派音楽についての推奨範囲が呈示された。現在、設計基準として使用できるバロメータは残響時間に次いでこの二つの評価量しかない。
 一方アメリカでは、早坂先生ご指摘のベラネクの評価体系以外にも何も生まれていない。現在のアメリカのホールの貧しさを表しているように思う。

図-1 C-RRダイヤグラムによるホールの評価


図-2 室内音響研究の流れ

 一昨年サントリーホールがオープンして以来、クラシックのコンサートが急増したことはニュースの88年12月号に報告したとおりである。幸いなことに、現在の東京では同じオーケストラを文化会館とサントリーホールで、あるいはNHKホールで聴き比べることができる。また、同じホールのいろいろな席で様々なタイプの演奏家の演奏を聴くことができる。
 ホールの試聴がいかに大事かということは、聴取レベルを一定にした試聴実験からは音量が重要な評価量であることすら見出せなかったことからも明らかであろう。サントリーホールでもこの短い間に反射板の効果やオーケストラ迫りの効果など貴重な発見があった。現在の室内音響に欠けていることの一つは、図-2のようにホールの聴取体験からのアプローチではないだろうか?われわれはこの聴取体験から、残響時間をはじめとするいくつかのパラメターを整理しながら設計を行っているのである。

 さて、実際の演奏に対しての評価であるが、音声の明瞭度のように冷静に判断できる評価量なら、(意見の)集約が可能であることは容易に想像できる。しかし音楽を聴くということ、そこには音楽に対して何らかの感動を抜きにして考えることはできないのではないだろうか。この領域となると個人差はどうしようもないのである。
 音楽と一口にいっても、クラシック一つとってもその中で人それぞれ好みのジャンルがある。どんな音楽ファンでもオーケストラから室内楽、オペラ、あらゆる器楽曲、オルガンまでを含めてまんべんに聴くという方はいないであろう。また好きな作曲家、好きな曲、好きな演奏家に対しての特別な思い入れがある。音楽の感動を抜きにして響きの良し悪しだけを聴くということが一体可能なのだろうか?もし可能だったとしてもその結果は果たして設計基準になりうるだろうか?
 現在のホール音響ではKJ法の川喜多二郎氏の提案する野外科学の手法(中公新書『発想法』22ページ)が、条件を整理した実験室での研究の前段階として必要ではないかと考えている。

 ところで実際の演奏を通してのホールの響きの評価であるが、いろいろ観察してみると、音楽の聴き方、捉え方にもいろいろなタイプがある。最もうるさいのが音色派といえるタイプ。これと対称的なのが構造派といえるタイプである。前者は音色やアンサンブルの美しさを気にするタイプで、音色が生命の管楽器の愛好者に多い。後者は音色よりもまず曲の構成、解釈を気にするタイプで、室内楽やピアノの愛好者にこちらのタイプが多い。また、弦には両者がいるようである。
 当然、音色派と構造派によっては好きな曲も異なり、また同じ演奏に対してこの二つのタイプでは評価が全く反対になることがある。ホールの響きに対しては音色派の方が敏感である。しかし感動があれば多少の演奏の乱れやホールの響きのくせなどは問題なくなることも事実である。3月のロンドン交響楽団の演奏に対して4月3日の朝日新聞の夕刊に吉田秀和さんのいつもながらすばらしい評論があったので紹介する。“音はいつもきれいとは限らない。むしろ「年増のダミ声《に似た雑音性で耳を刺激しながら性的魅力を発揮する第一ヴァイオリン以下、実にいろいろな音が混ざる。・・・一口でいえば、痛快な演奏である。”まさに痛快な評論である。感動にはまだまだいろいろな方向があるのである。
 早坂先生がうなずき、一般の聴衆が紊得できる評価体系は果たして可能なのだろうか?神戸大の安藤先生の手法のように、嗜好や感動の構造を生理現象からとらえるというのも一つの方向であろう。しかし現在の分析的手法だけでは発散の方向はあっても、総合した体系としてはまとまらないように思えるのである。現状ではスピーカーの音質評価と同じように、かっこうよい言葉でいえば“感性”、冷めた言葉でいえば“偶然”によってそのギャップを埋める以外にないのではないだろうか?
 今、音響設計者にとって最もこわい施主というのは“残響2秒のホールを造れ”というようなどこかの設計趣意書でみかけるようなことを要求する施主ではなく、たとえば“サントリーホールの二階LC席の響きにしてほしい”とか“ 東京文化会館の温かさにサントリーホールの輝きを加えてほしい”などと注文する客なのである。

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◆沼隈サンパルホールのオープン
沼隈町サンパルホール
 沼隈町といってもほとんどの方がご存じないであろう。広島県の福山市と尾道市の間の半島の、山が瀬戸内に落ち込むところに拓けた小さな町である。
 今月の22日、町役場に隣接して沼隈勤労者総合福祉センターと沼隈地域職業訓練センターがオープンした。沼隈サンパルはその施設の中のホールである。建築面積2,063m2、総工事費9億1,500万円という数値から見ても、ごく普通の多目的ホールとして建設されても決しておかしくないホールである。しかしこの町の倉田町長さんは音楽についても造詣の深い方で、コンサートホールとして通用するホールにしたいという切なる願いから、建築設計担当の伊藤喜三郎建築研究所を通して音響設計を担当することになったのである。
 ホールは客席数500席、ワンフロアーの小ホールである。音響設計として客席空間を直方形、天井高を約14mとした。壁はコンクリートの打ち放しで、客席の近くだけにボードによる拡散壁を設けた。また舞台反射板は、可動部を極力少なくしたことなど欲張らずにコンサートホールの基本条件だけを盛り込んだ設計とした。(このような点でこのサンパルホールは中新田のバッハホールと相通じるところがある。)
 今月22日のオープニング式典のアトラクションは、フルートのソロを交えた琴の合奏というささやかな催しであったが、小ホールにもかかわらずのびのびした響きを確認できた。29日にはN響のメンバーによる弦楽合奏が、来月には清水和音さんのピアノリサイタルが予定されている。質の高い演奏会が定期的に続くことを期待したい。

◆ハリス教授のホール音響についての講演会
 元コロンビア大学の教授でアメリカ音響学会会長を歴任されたハリス教授が来日され、4月3日に音響学会建築音響研究委員会・騒音研究委員会主催で特別講演が開催された。演題は“Modern concert hall design and ancient openair theaters”という興味あるテーマであった。
 ハリス先生の話はまず、古代ギリシャ、ローマの野外劇場の構造の特色、その音響効果の解明から始まった。客席面に沿っての音の伝搬の話、急な客席勾配の効果など現在の劇場と対比させながら分かりやすく説明された。しかし興味があったのはハリス先生の描く理想的なコンサートホール空間であった。先生の意図されるところは明確で、徹底した拡散音場である。天井も壁もいろいろなサイズの拡散壁を設けるべきだという主張である。このような拡散指向の考え方は、かつてマイヤー教授がボンのベートーヴェンホールで試みている。しかしこのホールの音響効果についてはあまり評判にならず、ヨーロッパにおいてはこの考え方は発展していない。しかしアメリカでは拡散指向の設計概念はくすぶっているようである。昨年サンフランシスコのデービスホールを見学したが、初期反射音にとって重要な面まで拡散しているのが意外であった。
 アメリカには天井からのパネルで初期反射音を形成するというドクター・シュルツのパネルホールの考え方もある。さすがにおおらかな国である。
 ハリス先生の拡散ホールの成否は別としても、設計に対して明確な理念を貫いておられることは、いかにもアメリカを代表する音響学者らしい姿勢である。非常に分かりやすい英語で講演されたことにも親しみを感じた。



永田音響設計News 89-4号(通巻16号)発行:1989年4月25日

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