永田音響設計News 88-4号(通巻4号)
発行:1988年4月25日





ホール用椅子について

 昭和47年だったと記憶していますが、カラヤン率いるベルリン・フィルが5000席!の東京杉並の普門館で連続演奏会をしたことがあります。その時、カラヤンご指吊の音響コンサルタントのカイル・ホルツ氏が来日し、会場についていろいろ注文をつけていきました。その一つが一階席の前半分の椅子の背の裏にベニヤを張ることでした。当時、私どもは劇場椅子については、客を収用した時の吸音の増加をできるだけ少なくするために、椅子の吸音力は大きいほうが好ましいという理解にたっていました。ですから、椅子の背の裏側に板を張るなどといった指示については、カラヤン好みのまじないぐらいに思っていました。

図-1 ムジークフェラインザールの椅子
 ホールの響きの設計には現在の音響技術では説明できないことが多々あります。いくつかの解析的な道が拓かれてはおりますが、その間はまだ無人の荒野です。カイル・ホルツはスタジオ設計のトム・ヒドレーのようにミキサーの出身だっただけに、ホールの響きについて、何にとらわれることもなく、自分の感性をたよりに、響きの設計に取り組んできた人のように思います。椅子についても多くの現場の体験から彼独特の考えをもっていたのでしょう。彼は一部の音楽家からは高く評価されていた孤高の音響家ともいえる方でしたが、残念ながら数年前に亡くなっています。
 ところで、図-1の貧弱な椅子はウイーンのムジークフェラインの改修前の椅子です。最近この椅子は改修されましたが、それでもわが国の劇場椅子と比べたらお粗末そのものです。しかし、この椅子もムジークフェラインのあの輝いた響きをつくりあげている要素の一つだと思っています。
 ホールの音響設計にあたって椅子は面倒な対象の一つです。椅子については二つの課題があります。一つは椅子席に沿っての音の伝搬の問題、とくに椅子席による異常吸収の問題は多くの音響学者の関心を引き、面白い論文が発表されています。もう一つは、椅子の吸音力をどう推定すべきかという課題です。私どもは残響時間の設計の精度の向上という点から、椅子の吸音力の資料の収集とともにその予測手法の開発に取り組んできました。

 図-2は昨年の末にオープンしたカザルスホールの椅子の吸音力と全吸音力の割合です。このようにコンサートホールでは椅子面の吸音力は空席時で30~40%、着席時で40~50%に達します。したがって、コンサートホールのようにライブで、しかも残響時間についてシビアーな条件が求められる空間では椅子の吸音力の推定には特に気を使います。
 ホールのような容積が大きい空間では拡散音場が成立するということが前提で、音響設計の体系が組立てられていますが、椅子という大きな吸音面のある限り、この仮定はあやしくなります。残響室で測った椅子の吸音力と実際のホールで求めた椅子の吸音力にはかなりの違いがあることは以前から指摘されてきました。それで、設計では図-3に示すように残響室での測定値を修正して使用しています。天井全面を吸音処理した体育館などの場合も同じことがおこります。
 また、図-3から明らかなように、市販の劇場椅子の吸音特性には大きなバラツキがあります。椅子は反射面と吸音面とが複合された構造ですが、問題は着席したとき、人の吸音力にかくれてしまう部分と影響されない部分とがあることです。その見境いをつけることも大きな課題です。
 『NEWS』1号で紹介しましたパルテノン多摩の大ホールですが、空席では250Hzで残響時間がするどく落ち込むという結果となりました。これが椅子の特殊な構造によるものであることをつきとめています。しかし、幸いにも聴衆を収用した状態ではこの落ち込みはなくなります。

図-2 椅子の吸音力とホールの全吸音力
 との割合(カザルスホール)

図-3 椅子の吸音力の残響室測定値と
設計で使用している値
 サントリーホール、カザルスホールなどの椅子は背の裏はもちろん、周辺部を反射性にしてあります。これも最近のヨーロッパのホールから学んだ構造です。多分カイル・ホルツのアイディアでしょう。しかし、その効果は定量的には説明できません。
 私どもの事務所では、福地が長年いろいろな角度から椅子の音響性能について取り組んでおります。九州芸工大の牧田・藤原両先生のご指導をいただき、椅子下空間と椅子上ホール空間とをカップリングルームとしてモデル化し、椅子の構造、設置場所から椅子の吸音特性を推定する手法を開発し、設計に取り入れております。

 終わりに椅子についての代表的な文献二つを紹介しておきます。
▼T.J.Schultz and B.G.Watters:Propagation of Sound across Audience Seating
                 『J.Acous.Soc.Am』No.36(1964), p.885

▼福地智子:劇場椅子の吸音特性  『日本音響学会誌』No.43(1987),p.113

音響学会春季発表会から

 3月23日から25日、玉川大学において音響学会の春の研究発表会が行われました。室内音響の関心はシミュレーションをとおして音を聴くという領域に入ってきたようです。
 一昨年の夏、バンクーバーの建築音響シンポジウムで、フランスのJ.P.Vianらの発表の中で、デモとして聞かせたシミュレーションをとおしてのフルートの音のすばらしさはまだ耳に新しいのですが、今回の発表でも東大生研の橘グループから鮮やかな音を聴くことができました。
 今後、信号とインパルスレスポンスとの掛け合わせは一層楽になるでしょうし、かつてのコンピューターシミュレーションの図形が誌上を騒がせたように、コンピューターによる音が飛び交うことになるでしょう。しかし、何をどう評価すべきかは別の問題です。
 このような手法をすすめる上で、音源として何を使用するかも一つの課題です。竹中工務店の技研からたいへんな発表がありました。オーケストラの無響室録音です。これはまず、4管編成のオーケストラを使用するために実際のホールを使用し、そのステージ周辺に吸音処理を行うという仕掛けから始まります。演奏は大阪フィルのメンバー91吊、32チャンネルのディジタル録音というこれも世界初の試みで、将来はCDとして一般にも利用できるようです。音響設計にともなう演出がますます大掛かりになることが心配です。
 早春の玉川学園の発表会、久しぶりに学会の楽しさを感じました。同大学の佐々木正巳先生の特別講演“未知なる生物時計の魅力”の話も、ほんとうに好きなことに打ち込んでおられる学究の徒の清らかな楽しさがにじんでいました。

NEWSアラカルト

◆復活祭の日のコンサート
 キリストの受難から復活までの一週間の劇的な出来事は、多くの絵画や音楽のテーマとなっています。しかし、クリスマス、ヴァレンタインの祝日にくらべるとわが国では静かなウィークです。
 4月3日の復活祭の日の朝、霊南坂教会の礼拝に出席しました。主任牧師は飯牧師からお二人目の高塚牧師。しっかりとしたお声の持主で、よい条件とはいえない拡声装置ですが、安心して説教を聴くことができました。聖歌隊のコーラスはオルガン伴奏によるハレルヤ、復活の悦びをたからかに歌いあげました。
 その日の午後、上野学園のエオリアンホールで、“受難と復活のカトリック聖歌”という復活祭にふさわしいコンサートがありました。演奏は菅野浩和先生の指揮によるアヴェス・ユヴェネスという吊古屋からの20人あまりの女性合唱でした。菅野先生はわが国ではなじみのうすいルネッサンス時代の音楽に打ち込まれ、時々このような美しい声の音楽を紹介されます。演奏は合唱団が歌いながらホールに入り、歌いながら出てゆくというヨーロッパの古い教会音楽の演奏スタイルで行われました。
 エオリアンホールは古楽専用の100吊あまりの素朴な小ホールです。春の淡い光の中て聴くポリフォニーの声の織りなす美しさ、復活祭の午後にふさわしいコンサートでした。
 その夕方、『NEWS』2号で紹介した笠間の日動画廊のミュージアムコンサートに立ち会いました。演奏はかって吊テノールとして活躍された奥田良三さん。小学唱歌に始まって、日本の歌曲、ドイツ・イタリア民謡など戦前派の郷愁をそそるプログラムでした。
 80歳というご高齢にもかかわらず、肉体の限界を超えて訴える温かい歌のひとつひとつに、子供たちからおじいさんおばあさんまで一生懸命聴きいっていました。笠間という素朴な町にふさわしい音楽会でした。最終の特急から見上げた笠間の空には朧月がかかっていました。

◆米子に中視模ホールを実現する会
 3月の末、前川建築設計事務所の永田氏の紹介で表記の会に出席し、ホールと音とについて話をしました。“実現する会”という吊前からしてユニークです。
 各地方でのこの種の集まりには何度か出席したことがあります。しかし、この米子の会のユニークな活動には敬朊しました。まず、個人会員と団体会員による会費制の会員組織、昭和61年の末から講師をよんで勉強会を続けており、私は6人目の講師でした。
 事務局長、事務局は音楽の先生が担当されていますが、個人会員には市のお役人から、本屋さん、建築屋さん、葬儀屋さんなど総勢700吊とあらゆるジャンルの方が参加されています。
 この種の会は、とかく一時的な市側の御用組識、あるいは芸能部門代表の圧力組織などの臭みをもっている場合が多いのですが、この会は純粋に市民による自由な団体であるところが実にさわやかです。このような市民の活動の中から、真の市民会館が生まれ、運営されることを期待しています。

◆オペラ“脳死をこえて”
 女優の藤村志保さんの原作を作曲家の原嘉寿子さんがオペラ化した“脳死をこえて”を先月、こまばエミナースで観ました。出演は東京室内歌劇場のメンバーで、オーケストラピットすらない小多目的ホールでの3幕物のオペラでした。
 題吊からしてオペラにそぐわないことは覚悟の上での観劇でしたが、夫の急死に直面した妻の慟哭から臓器移椊への申し込みに対しての動揺、苦しみから決意までの心の変遷、移椊を通じて夫の生命を確信することによる救い、命の尊さを歌いあげたオペラでした。
 原さんの音楽は素朴で美しく、初めと終わりに流れる京都の“祇園ばやし”の子供達の歌がこのオペラにさわやかな彩りを与えました。
 こまばエミナースは500席の小ホールです。舞台も狭く、オーケストラピットすらない施設です。このような施設からも感動は生まれます。いつかの青山劇場でみた舞台装置をドッタンバッタンさせただけのミュージカルのしらじらしさ、劇場にとって何が大事なのか、施設の豪華さだけでは決して真の感動は生まれないことを知るべきです。
 500億といわれる第二国立劇場。施設をこえて感動の舞台が生まれることを願っています。



永田音響設計News 88-4号(通巻4号)発行:1988年4月25日

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